次は私らの番

6月に入って、大叔母(享年100歳)が亡くなりました。

大叔父が亡くなった時、大叔母はすでに90歳。

足腰もしっかりしてたけど、老人性の軽い痴呆が

出て来てからは、子供のいない自分が姪(母)や

私達に迷惑をかけてしまうのを恐れて自ら施設に入り

ました。

看護師が常駐している完全介護の老人施設なので

私達も安心してたし、同じような境遇のお友達もでき

て、最初は楽しそうにやってましたが、そのうち、

顔を見に行くたびに帰りたいというようになりました。

 

私達家族も実の祖母のように慕ってたし、生まれ育っ

た地元に連れて帰ってあげたかったけど、現実的に

考えてそれは無理でした。

数年経つ頃には痴呆が一気に進み、顔の見分けがつか

なくなり、私の顔をみて

「おかちゃん(私の祖母)来てくれはったん?」

と言われることもありました。

 

私達家族は、祖母をアルツハイマー型認知症で壮絶な

介護を経験してるので、私を自分の姉だと思って一緒

にボウリングに行った話を嬉しそうにしている大叔母

を見てると、祖母と話してるようで泣きそうになりま

したが、元気に生きていてくれればそれで良かった。

 

けれど、ここ数年はコロナの影響で全くといっていい

ほど面会ができなくなりました。

施設に入れるのは一人だけなので、母を車から降りし

て毎回私は待合室のソファで待ちました。

帰り際に施設の方が車いすに乗った大叔母を一階まで

連れて来てくれるので、ガラスドア越しに一生懸命

話しかけるんやけど、全く誰かは分かってないよう

でした。

 

母を見た大叔母はやっぱり

「おかちゃん・・・。」

とつぶやくそうで、その頃には大叔母は祖母の顔しか

覚えてなかったのかもしれません。

 

昨年から食事も食べられなくなり、チューブで栄養剤

を直接胃にいれてもらってました。

大好きだった≪とらやの羊羹≫も持っていけなくなり

ました。

今年に入ってからは寝たきりになり、意識が曖昧に

なる事が何度もあったんやけど、それでも限られた

家族しか面会できないので本当に辛かったです。

 

大叔母の意志で、延命治療はしないとのことでしたが、

病気で苦しむこともなく、最後は老衰により亡くなり

ました。

この数ヶ月、よく頑張ったなって思います。

 

葬儀のあと、母がぽつりと言った言葉が胸に刺さりました。

「次は私らの番や…」

 

生きとし生ける全てのものに、等しく訪れる死…

いずれ自分の両親を看取る日が必ずくる…

 

あの時こうしていれば良かったと後悔しないように、

いっぱい親孝行しないといけないと思いました。

タイトルとURLをコピーしました