ちょっと怖い話~お地蔵さまと水玉の傘

ちょっと怖い話

これは、私が中学1年生の時の話です。

中学に上がると同時にスポーツ系のクラブに入部し
毎日遅くまで練習していました。
練習は厳しかったけど、仲の良い友達もでき、毎日
楽しく中学生活を送っていました。

7月に入った夏の日の事です。

その日は朝から雨が降っていて、グラウンドが使え
なかったので、いつもより早く部活を終え帰ること
になりました。

いつものように、仲の良いMちゃんと好きな先輩の
話や嫌いな先輩の話をしながら帰りました。

四つ辻でMちゃんと別れ、小さなお地蔵様の祠が
ある踏切に向かって一人歩きました。

踏切から20メートルくらい手前に来た時、赤い点滅
と同時にカンカンカンと警告音が鳴りはじめ、黄色
い遮断器が降りてくるのが見えました。

ふと奇妙な感覚に陥りました。
(そういえば誰ともすれ違わへんなぁ。)

前を歩いてる人もいない…
車一台も通らない…

振り返ってもまるで人の気配がありません。

灰色の空からしとしとと降る雨の音が妙に頭に
響いて、なんだか肌寒い…

自然に足早になりました。

踏切から10メートルもしない所まで歩いてきた時、
突然後ろから人が走ってくる気配がしました。

びくっとして立ち止まると、水玉の傘が私を追い
越していきました。
後姿で女の人だと分かりました。

その人は私を追い越すと、何のためらいもなく遮断
機を超えて踏切内に入りました。

(えっ!!)

あっと言う間の出来事でした。
電車が通ると同時に水玉の傘が宙に舞うのが見え
ました。

その瞬間、私は目をつむってしゃがみ込みました。

数分だったか、数十秒だったか覚えていませんが、
恐る恐る目を開けると踏切の遮断機は上がり、何事
もなかったかのように静まりかえっていました。

(何!?今の…)

しばらく立ち上がれませんでした。
何が起きたのか、必死に考えました。

水玉の傘を持った女の人が、警告音のなる遮断機を
超えて踏切に入った。
その瞬間、傘が宙を舞っているのをはっきり見た。
なのに…

夢でも見たかのように遮断機が上がった踏切は静ま
りかえっています。

電車が止まるわけでもない、人が騒いでいる訳でもない。

踏切に入ったあの女の人はどうなったの?
傘…あの水玉の傘!

どこかに傘がないか、周りを恐る恐る見渡しました。

そして…
線路の脇に、錆びついた骨組みが折れ曲がり、
ボロボロの状態で放置してある水玉の傘を見つけ
ました。

その瞬間、家に向かってダッシュしました。

自分が何を見たのか、考えたくなかった。
とにかく早く家に帰りたい。

背中で鳴っている踏切の警告音が、私の心の中の
警告音のように感じました。

家に帰るとすぐに祖母に話しました。
祖母は黙って話を聞くと、お線香を持って
「踏切へ行こか。」
と言いました。

怖くて行くのを戸惑っていると、祖母はいつもの如
く笑顔でこう言いました。

「みなまで言わんでよろし。ぜーんぶ分かってるさ
かい。」

そうして祖母と二人踏切に戻りました。

線路の脇にチラッと目をやると、さっき見たはずの
水玉の傘がなくなっていました。
(なんで?あの傘は何処にいったの?)

今にも泣きたい気持ちになりましたが、祖母はそん
な事に目もくれず、真っ先にお地蔵様のところに行
きました。

お線香を焚くと、懸命に手を合わせ何かを唱えてい
ました。
それを見た私もつられて一生懸命お地蔵様に手を
合わせました。

お地蔵様、さっきは怖くて逃げました。
ごめんなさい。
お願いです。
あの女の人を助けてください。

二人で手を合わせたあと、祖母はにっこり笑って
こう言いました。

「あんたは何にも気にすることあれへん。この踏切
はお地蔵様にお任せしておけばいいんやで。せやけ
どな、いつもお地蔵さまが守ってくれてることは絶
対に忘れたらあかん。お地蔵様に感謝して、いつも
ありがとうございます言うて踏切を渡りなさい。」

祖母に言われたとおり、次の日から、その踏切を
渡る時はお地蔵様に手を合わせるようになりました。

(お地蔵様いつもありがとうございます。)

その後、その踏切で怖い思いをすることはありませ
んでした。
逆に踏切を通るたび、お地蔵さまが守ってくださる
という安心感さえありました。

私が見た水玉の傘をさした女の人は、お地蔵さまが
救ってくれたに違いない。
そう思えるようになりました。

30年以上たった今でも、その踏切を渡る時は必ず
お地蔵様に手を合わています。

タイトルとURLをコピーしました